燈自身による akaricentricc セルフ・ライナーノーツ

アルバム全体がもう出来上がってる時、
最終版を納品する予定日の1週間前くらいに、
どうしてもアルバムのイントロ的な曲が欲しくなって急遽出来た曲。
ふたりであれこれ相談して、ケンが夜中に短時間でトラックを作ってくれて、
朝私が起きたら出来てて、それ聴いてすぐに
声の構成とか頭に浮かんで朝からレコーディング、
その日の昼にはラフミックスを終えてしまった曲。
アルバムのジャケットに入れている、
akaricentriccという思想の基盤となる言葉で作った詩を
見ながら、マイク前に詩を見ながら一気に即興。
一発で録って、すぐにコーラス自分でやって重ねた。
ケンと私のAmanjaKプロダクション・チームとしてのタイトさを
再認識した曲。


あ、なんでakaricentriccの c が最後に2個あるかというと、
これはアメリカ西海岸のある種の人々の間で使われてる、
スラング的な表記です。blacc, beatnicc みたいに書く。
見た目がかわいいので好きなの。



これは、ライヴのリハの時にケンが遊んでて、
その場で私が言葉とメロディの即興をして、
その日のライヴで披露した、二人の即興好きが知れる曲。
タイトルだけ見ると、「車/アシが必要」って感じだけど、
そっちのliftではなく、「アゲ」的な、high的な意味のliftです。
Liftの方が能動的で、行動を必要とする単語かな。
パーティとか、人との出会い・駆け引きとか、なんかわくわくするのと、
即興をするって事が、私のhighで、必要なもの。楽しい。



この詩は、Ken Uchida に向けたメッセージ。
ケンに似たような、繊細で純な、不器用な人すべてに
向けたメッセージでもある。

自分を変えられるのは、最終的に自分だと思う。
他人の考え方とか、思い付きとか、
まわりがコントロールできるものではなくて。
人は思いたい事を思いたいように思う。
だから逆に、みだりに他人の一挙一動に気をとられる事はないし。
変えられない、譲れないことを無理してしようとして、
まわりという常に流動して不明瞭なものにゴールを置いて自分を削るよりは、
自分が得意な事で自分にゴールを置いて世に仕える方が、
結果ポジティヴ。
自分の心臓の鼓動を誰よりも一番近くで感じられるのは、
他の誰でもなく自分自身。
そのことの凄さ、感じて欲しい・・・という祈り。



「げー、いいじゃんこれ好き」って感じのタイトル。
クラブ的に大音量で聴くのをお勧めします。
ケンに「ディギディギダガディギっ」って感じでスキャットして、
とリクエストされて、そのフレーズをテーマラインにして、
コラージュ用に適当に声録りして、
テーマ以外の声は全部私がコラージュしてます。
声のコラージュするの大好き。
AmanjaK名義でダンス・アルバムを作る時にでも
取っておこうかと思ってたけど、こういう曲は私の重要な側面なので、
知っておいて欲しいから、アルバムに入れました。


ジャマイカのパトワ語で 
I n I (アイ・エン・アイ=私達 という意味)という言葉がある。
わたしプラスわたし=わたしたち という足し算的発想が面白くて、
好きで。You and Iではない所が。
英語的な、「世界 対 自分」でない考え方、素敵。
日本の方言でも、「あなた」の事を、「自分」って呼んだりするでしょ。
なので、
「自分の無意識、意識、自分も気付いてない本来の自分」と、
心理学的に。
結局、核の所は「自分」ですよ、
という3曲目でも言ってる事を書いてみた。
ひとりぼっちでも、「自分」という多面体がいるじゃん、みたいなね。
ひとりいるだけでも、いいじゃん。ゼロじゃないし、という。

このバージョンは、何個かあるうちの最新版。
本来はボーナストラックのiiiLL dub mixを先に作ってたの。
自分的に音で実験してるし、
昔のヒップホップミックステープみたいなヤバさがあるから、
私はそのバージョンを最終版と決めてた。
だから、ケンがこのクリーンなバージョンを作った時は、
「キレイすぎる」と言って、全然受け付けられなかったんだけど、
ちょっと経ってから聴いたら、「あ、悪くないかぁ」と思って、
オモテの顔用にしちゃいました。
アルバム中、この5曲目が唯一プロダクションで私が何もしてない曲。



シカゴに住んでた時に作った曲。
シカゴにいた某問題児についての客観的観察。
フック(サビのこと)のスキャットが頭に浮かんだ瞬間、
「あ、これ言葉に変換しないでこのままフックにしよう」と決めて、
それから作っていった。当時は、曲にブリッジをつけてて、
コード進行にもう少し変化がある曲だった。
でも、ベースラインを活かした、ヒップホップ・クラシックみたいな
ノリを出してるこのバージョンには、
ひたすらシンプルに行った方が合うと思って。

セルフ・センサーっていうのは、
本来の流れならあのスキャットしてる部分には
罵詈雑言とか捨て台詞が飛び出してても不思議ではないんだけど、
あえてそれはせずに、嫌な奴と関わってる時の納得いかない感じ、
もやもやした不満を自粛してセンサーとして。
「戒め」は、嫌な奴を反面教師にして、
自分自身への訓戒という意味も込めてます。
で、嫌な事あったら、それを思い返して腹立てるより、
深く眠ってさっぱりと朝を迎える方が体に良いので、
気持ちよく子守唄っぽく「落ちたら深い眠り」をつなげて作ってみた。



ご存知、Ken Uchidaのアルバム PHASE THREE からの曲。
このタイトルは元々私がつけてるので、曲のイメージがはっきりしてて、
フリースタイルの歌録りの時、言葉もすらすら出てきた。
即興で言葉とメロディを一体化させるのが本当に大好きで。
ギターのディレイとの絡み具合とかタイム感が、
ぶっつけ本番にしかないモノ。
フル・バージョンは、ライヴを聴きに来て下さい。

もう一年以上前に作った曲。
なので、政治の時代背景が段々違ってきてるけど、
いわゆる「痛み」うんぬんとか言って痛みを与えていた側と、
それを受けるしかない下層側についての矛盾について。
痛みを、言ってる本人は本当に感じてるのか、と。
高速料金その他諸々、日本って住むのに金がかかる国なのに、
近年の国債と年金問題、課税問題には、
純粋に「私たち貢ぐ側でなく、
金を使う側に問題があるのでは」と頭を傾げたくなる。
あとね、アメリカから帰ってきて
もうひとつびっくりしたのが、リアルな地球温暖化現象。
茅ヶ崎の海岸が、どんどん侵食してビーチが無くなって来てるの。
詩に出てくるconcrete monstersというのは、
テトラポッドで、私は昔からあの醜い塊が嫌い。
あれは、葦が生えてた頃と比べ、
確実に地球破壊の一手を担っていると思う。
葦が海水の浄化の役目を担っていたのに、
根こそぎ撤去されたから。などなど、
日本に帰ってきて目に見えた現象から一曲つくってみた。

ケンとのライヴでお馴染みの、ユアサ兄弟のプレイがかなり秀逸。
実はミックスダウンで一番苦労したのは、この曲。
でもケンと二人で最後の最後まで試行錯誤をした甲斐あって、
ちゃんとベースがぐんと出て、よかった。



ポエトリー・リーディング。これも練習とか何も無くて、
トラック聴いてばーっと詩を書いて、
詩を見ながらささっとレコーディング1発録り。
故に、発声が弱い所も多々あるけど、
何テイクもやると、練習した感じが出るのが嫌で、これ一本で通した。
ライヴ感とか、その時のフィーリング、タイム感の方が重要なので。
歌ってるところもポエトリー部分も、
実際はひとまとまりで、一気にやってます。
音処理的には何テイクかコーラスっぽく
後で入れてる風に聞こえると思うけど。
一時期私はアメリカ人のルームメイトと、アジア人が一人もいない、
殺人発生率シカゴ市内1位になってしまったゲットーに住んでた時があって、
その頃の生活感を描いてます。
いやー、よく無事だったなぁほんと。
私のサヴァイヴァル感性はこの時磨きがかけられたね、間違いなく。
あ、でも個人的に寒いのも雪が積もってんのも全然好きじゃないです。
もう一生分の厳冬は体験しました…。
ニューヨークから来てた子が、シカゴの寒さは桁違いて言ってたもんなぁ。


毎日どこかで何かが起こっていて、泣いてる子もいれば、
楽しくやってる子もいる。でも、空はいつも空だなぁ。
幸と不幸。空に、黒い点。鳥だ。あ、カラスか…。

そんな風に、生活してて感じた事を詩にしてみた。
爽やかな空にある得体の知れない「黒い物体」感を出す為に、
「black crows (カラス)」と言わずに、黒い鳥black birdと表現してる。
このvocal録りを自宅で入れる時、カラスは勿論、
米軍の戦闘機が10分おき位にガンガン飛んでて爆音出してた。
その合間をぬって気合で1テイクをフルで録った。

DJと音楽をやってたルーツに遡って、スポークン・ワードをやる時の様に、
同じループ音の上でどんどんメロディと言葉を展開。
コードチェンジして楽曲展開していくのと違った難しさがあるんだけど、
うまくハマったら、中毒的な気持ちよさがある。
これって実は、今回のアルバム全曲に共通してるテーマなのでした。
華美でない格好良さの追求。
最小限のコードで展開/ループ、
声・ドラム・ベース・
たまにギター/シンセ の構成。
宝石で服を飾り立てるのではなく、
肉体・骨格そのものの格好良さを追求したというか。
次回は、ボディ・ペインティング・アート的にしてみようかな…。


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